《skill for penspin》2018
ペン、アクリル、モーター、テーブル、フローリングシート
テーブルの上でペンが回っている作品。ペンの先には透明な歯車がついていて歯車荷動きが伝わることで、ペン全てが回っていく。
技術の研鑽と人から人へと受け継いでいく(と同時にその力は弱まっていく)技術のあり方を提示する。
《Making tower of Babel》2018 22min(roop)
ブラウン管テレビ、DVD プレイヤー
ペン回しをできなかった子が、ペン回しをできるようになるまでを収めた映像作品。
ある技術を習得していく過程を収録しているが、編集により時系列がバラバラになっている。一回だけ成功するシーンがある。
《towers》2018
シャーペンの芯、モーター、電池、アクリルボックス
右のスイッチを入れると、シャーペンの芯が回り出す。二本のシャーペンの芯は回り出すことでそれぞれの姿を見せ始める。
《The things of Gad》2018
デジタル銀塩プリントに額装
日本のペン回しの歴史に影響を与えた、「PenDolSa」のペン回しの映像(=神動画)をスキャ ニングした写真作品。
《Construction》2018
ペン、アクリル
《The skill of pen spenners.》2018
innstallation
at Shop and Gallery VOU
『The skill of pen spinner』は、僕が中学生の頃に流行し鍛錬してできるようになった、ペンを指先で回す技術の事だ。ふと思うのは、あのペン回しは人生にどういった意味を持つのだろうということ。多分意味ないんじゃないか、無意味な技術な研鑽は何を生み出すことができるか。
この展覧会は“ペン回し“についての展覧会である。が、もう一つモチーフとしてピーテル・ブリューゲル(Pieter Bruegel)が描いた絵画《バベルの塔》を設定している。 バベルの塔の逸話は旧約聖書の「創世記」11 章にあらわれる。一つの言葉、一つの言語を持つ人々が巨大 な街(塔)を建てていき、天まで届くといった時に、神の琴線に触れ、共通の言語を解体されてしまうことで塔が完成できなくなったという話である。 これに対し“ペン回し”はもともと個人の技術でしかなかったものが、Web を介して収束されていき、共通の言語(技名を決めていく)を持ち始め、「神動画」によって技術が飛躍的に発達していくことで、現在では競技としての様相を見せている。 この二つの話は人と神(的なもの)によって動かされた技術のあり方を真逆に提示する。この対比の構造の中で、人が培ってきた技術の集積と、繁栄と衰退、それらの記録と忘却について提示している。